脈絡

読み難い

やさしい世界の話

 やさしい世界。

 

 

それはわたしがずっと焦がれていたものなんだと思う。

何年前だっただろうか そのことばをわたしの中に見つけて その時から間違いなくわたしの中に常に残り続けてきた言わば信念 理想 通すべき筋のようなもの それがやさしい世界をつくること、やさしい世界に暮らすこと。

 

世界 なんてものはあまりにもたくさんの意味を含んでいて 捉えようによっては何通りにもなるし言ってしまえば人によって違うけれど ここでは世界というのをわたしが暮らす空間というか環境のようなものと捉えてもらえばあまりニュアンスは無いのでは と思う。

 

地球に暮らす人間や動物や植物やその他諸々生きていても生きていなくても存在している全てが含まれる意味での世界では 戦争は絶えないし植物や動物は殺され続けているし人間のみならず存在しているものは何かに蔑視されているし全てのものは異なる何かによって憎まれ続けているし悲しみは大きく膨れるばかりだし呼吸出来ずに喘ぐ生き物、棘に刺されて見えない血を流し続ける心、すっかり乾いて荒れ果ててしまった感情 そんなもので溢れかえっている。

喜びや楽しみなんていう感情もそのぶんぽこりと浮かんでいるのかもしれないけれどたぶんそれは知らないだけ…

 

わたしは人間ではないから 人間の世界 所謂社会というのに馴染むなんてそれは出来ないしやろうとも思わない。もうやめた。人間の世界は少なくともわたしには合っていなくて、わたしにとってそこはやさしい世界ではなかったということになる。

 

やさしい世界。というのは かなり難しいものだと思っていた。全ての棘を防がないとならないと思っていた。 心地よい感情を満たすのが必要だと思っていた。 

けれどそれは本質的に違っていたようだった。

 

この頃わたしはやさしい世界をようやく見つけたみたいだ。それは完全ではなくて一時的で断片的ではあったけれど、確実にやさしい世界だった。

棘なんてわたしが消えてしまうまで防ぎきることは出来ない。それで心は歪んで破れてぼろぼろになっていくけれど、一時的にでもそれをすこしだけ回復させられる世界に逃げられること それがわたしにとってやさしい世界だったようだった。

 

 

ことばというのは難しくて 日本語という言語を日本ではみな話しているけれどそこには確実にニュアンスがあって、ときにはニュアンスなんてものでは済まされないくらい大きな誤差のようなものがあるものだと思う。

わたしはむかし ことばについてものすごく引っかかって定義して意味を確定させていた時があって どうやらそのせいで一般的な日本語とは少し違うことばを使っているみたいだった。一般的な日本語とはあまりにもかけ離れた意味を持つことばをいくつも使っていたんだと思う。

そのことばのニュアンスが大きければ、会話は上手く繋がらないしその分を他のもので補わなければならないからとても疲れてしまう。

逆に小さければ疲れもストレスも少なく会話そのものを続けていくことができるんだろう。

 

会話というのは疲れるものと思っていたけれどそれは一概には言えないことだった。会話にも二種類かそれ以上あって、感情を使う会話と使わない会話という分け方も出来る。

感情って厄介なもので、時にはそれは喜びをあらわすけれどあとからどっと疲れや悲しい気持ちがツケのように押し寄せてくる時もある。

異なることばを使う人間との会話にはよく感情が介入してきて、それは反射や感覚で言葉を跳ね返しつつ会話するイメージとなってわたしの中に存在する。言葉そのものについてあまり考えられていないから、棘は抜かれないまま 感情の起伏はかなり激しくて心がとても疲れていたみたいだ。

 

でも同じようなことばを使うひととの会話は違った。穏やかにことばを綴って受け入れ合うことが出来ていた気がする、そこにわたしはやさしい世界を見た気がする。

疲れていても出来る したいと思える会話があった。寧ろ荒んだぼろぼろの心に沁みていくようなことばを、わたし自身からも生み出していた。そういう会話が出来るひととは一緒に居るだけでやさしい穏やかな気持ちになることが出来ていたし それはわたし自身がやさしい世界を作り出しているということと殆ど同じなんじゃないかな。

 

 

つまりはやさしい世界って 触れるもの全ての棘や毒を抜いて傷付けるもの全部を遠ざけて そうやってつくりだしたパステルカラーの自分だけの箱庭なんかじゃなくて 日常の中で変わらずざくざくと傷付けられて泣きそうになって吐きそうになって死にたくなったそのときにこっそり逃げ込める隙間みたいなものなんだろう。

そこでわたしは穏やかに笑って、水面をおちつけ直してから、もう一度たくさんの棘を浴びに行くのだろう。

 

いずれはそのやさしい世界が占める割合を増やしていければいちばん良いのだと思う、けれどきっと全てには出来ないとも思う。

 

たぶんやさしい世界はかなり貴重というか手に入れ難いものだし、現に一週間のやさしい世界は既に消え去ってしまって今は途方に暮れている。でもどこかにそれがあることがわかったいまなら、また暮らすことが出来るかもしれない。

難しいことでも、出来るかもしれない。

 

 

やさしい世界は、理想から希望に変われるのかもしれない。