脈絡

読み難い

狩りの話

 

手順は一応知っている、知識としては。ただ体験が伴っていなくて、だから使えるものではなくて。

動きを止めるところから、血抜き、解体。食べられるところはどこなのか、それ以外はどうするのか、作業する場所とか、皮の処理とか、本で読んだことはなんとなく記憶にはある。 けれど実際の生き物の重さはきっとわたしには支え切れない程のもので、どうする事も出来ないのだろう。

 

狩りまでとはいかなくても、例えば飼っている鶏を締めるとか、そういう体験が一度くらいあっても良かった、或いはこれからあっても良いと思う。生き物を食べる為に育てて食べる為に殺すのは、自然なことだと思う。

 

猟師の人とかのことを、残酷だとか良心がどうとか言っている人がいるのをわたしは知っているけれど、わたしは全くそうは思わない。食べるのなら、殺すのは悪くないと、そういう考え方が何故か根付いている。でも考えてもみれば動物が動物を殺す理由なんて食べる為か食べられない為、あとは子孫を残すときの諸々くらいしかないのではないか。わたしはそんなにいろんなことを知っているわけでもないから例外なんてきっとたくさんあるけれど、何かを殺す、いちばん自然な動機として食べたいっていうのがあるとわたしは思う。

 

 

 

可哀想とか言われても、生きるって殺すことだし。わたしが生きた分だけ誰かから命の、生命力とでも言えば良いのか、生きるときに必要ななにか大切なものを奪っているわけで。栄養とかそういうの以前に、命をいただくとかそういう安っぽい言葉で表せるようなものではなくて、なにかここに生きている色んな生き物達でひとつの大きな生の根源の様なものを共有していて自分にそれが足りなくなったら誰かを殺してそれを食べるという行為で補充している、みたいな感覚がわたしの中にある。

 

 

 

逆にわたしは食べる為でないならわたしに害を及ぼしたもの以外は意図的に殺さない。そうやって小学校の高学年くらいから虫もずっと殺していない。わたしを刺した蚊とかは殺しているけれどね。そうやっていくべきだと自分で判断したから。邪魔だからとか言って蝿とか殺すのは、なんとなくわたしは許せなくて、だから追い払えば良いじゃないかと。まぁ誰かが殺しているのを止める権利なんてわたしには無いし、だからどうしようもないのだけれど、でもちょっとずつ伝えつつはある。自分でも思うけれど急にこんなこと言われたら変な人だと思うよね。けどわたしはこうだから。

 

将来は狩りの免許を取ろうと思う。銃のやつと、自由のやつ。たしかあったはず、ちょっと前に調べたやつだからわからないけど。色んな種類があったな。けどそれは、罠とか弓矢とかの免許で、方法は銃とか使わなければ自由だから言ってしまえば素手で殴り殺すとかでも良い。わたしは弓と罠でやりたいから、それを取るつもり。銃のやつは取らないかもしれないけれど。

 

まぁそんなことを言っても、わたしは将来はほぼベジタリアンのような生活をするつもりだから肉は殆ど食べないだろうけど。それでも食べたくなったら自分で狩って、食べられるようになりたい。たまに無性に食べたくなるから。

 

昔はアイヌとかマタギとかに憧れて、山に入って生きるのを夢見たりもした。いまも出来れば田舎で、山の中で暮らしたいというのは変わらない。彼らのことを調べる内に、猟の方法とか捌き方とか、保存とかの方法を知った。食べ方も知った。それ以外にも、例えばナイフの使い方だとか、食べられる木の実とか草とかを覚えた。

それから、確率的にはほぼあり得ないことだけれど例えば飛行機が落ちたりとか何らかの災害とかで陸の孤島とか或いはどこぞの島に流されたとかがあった場合、それまでの過程で死ななかったのならわたしは生きなければならないと思っているからそこで生き残るためにサバイバルの勉強をしたりもした。ロープの結び方とか、簡易的な家の作り方、SOSの出し方、筏を作るとか森の中で迷わないようにするとか、毒のある植物を見分ける方法も、色んなことを学んだ。

その中で狩りのことも勿論あったから、すこし詳しくなったりした。父さんの知り合いの猟の免許を持っている人に鹿の解体を見せてもらったりもした。小さかったからあんまり記憶にはないけれど。

 

それでもこれらは全てただの知識でしかなくて、技術は伴っていないしだから言ってしまえば役になど立たないのだ。経験がほしいね。

 

いざ生き物と対峙すればわたしが怖気付くのはわかりきっていることだし、それで構わないとも思っている。けど、なんだか生きている内に、本気で生き物と対峙するのって経験しておくといいとわたしは思う。で、その時に出来るだけわたしと相手との距離が近い方が良いと思うからわたしは弓矢で戦いたいとか。きっと知らないようなざわつきとか鳥肌の立ち方とか、わけのわからない感情とかが溢れるだろうし、わたしはそれを求めているのではないかという気持ちもある。

 

なにか圧倒的なものと出会ったときの、涙の出そうなほど恐ろしくてわくわくする気持ちがわたしは好きだ。

自然は圧倒的だし、わたしは彼らのことを畏れているけれど好きだから、出来ればもう少し近付きたい。ものすごく怖いけれど。

 

なんだか、怖いというのをたのしい様に勘違いするように出来ているみたいだ。その時に感じる鳥肌のたつ感覚を、恐怖としてではなくて興奮として捉えているのかも知れない。それはそれで構わないと、なんとなく上手いこと生きる為にそうやって出来ているんだろうと思う。

 

 

狩りの話から随分と遠ざかってしまったけれど。そうやってディープにいろいろと関わっていきたい。そういうことによってわたしは生きていることのような類のものを感じることが出来る気がするから、わたしはそれを大切にしていくべきだと思う。