脈絡

読み難い

自分の話

 

自分のことでなんとなくずっと思ってきたことがある。それはなんだかどうやらかなり、まぁ一般的ではないのだけれど でもわたしにはそれがいちばんしっくりくるような気がしているからこれで良いのだろうと思っている。自分が何なのかわからなくなる前に、ちゃんと書き起こしておきたいと思った。まぁこんなのはすぐに変わってしまうものだし、まだ不完全だからどうにもならないだろうけれど。書きます。

 

とはいえ何から書けば良いのかもちょっとよくわからないので、どうしましょう なにを書けば良いのだろう。

 

とりあえず思いついたことをつらつらと。

 

 

まず、自分の話なんて言ってるけれどわたしがわたしについてわかっていることなんてほとんど無いと思っている。わたしがわかっていると思えるものは多分自分の中で定義が完成しているものなんだけれど、自分自身にかかわることで定義ができているものはそれはそれは少なくて。それでも確信は持てなくても自分のこと、周りとの関係とかの中になんとなくの違和感の様なものがある時があって、それは多分正しくてだからわたしはその違和感をなくす為に色々と定義していっているのだと思う。

違和感を和らげる為に、わたしは自分のことを人間と思わない方が、生物と思わない方が良いのではないかと思った。

確かに世間的には人間として、生きているけれど どうやらわたしは一般的に人間と呼ばれている彼らとは何かが決定的に異なる様で、自分が彼らと同じ人間だとは思えない。別に軽蔑とかそういうのがあるわけではないけれど、ただ、違うんだなぁというそれだけ。

 

わたしは生物というのは自然にものすごく関連してると思っていて、だから本能とかも大事にすべきだと思うのだけれど、わたしのその本能が向く先がまるで自然に対抗していく様で、わたしはそれが怖いと思うしだから生物じゃないのではないかとか思っている。言い方がなにか変かもしれないけれど本来あるべき本能のあり方とは違う、なんだか自分自身や周りを滅ぼそうとでもする様なあり方でわたしの本能とか欲求が存在している様で、それは生きる為に動いているのではない気がしている。

 

自分を生かそうとしないなんて、なんだかおかしなことのように思えるけれど、でもわたしがそう感じているならきっとそうなんだろうなと思う。まぁ結局生きていることには変わらないし、生かそうとしないからといって殺そうとしているわけでもないからこれからもゆっくり死んでいくだけなんだけれど。

 

生まれた時はちゃんと生きていたのだろうな。生き物として生きたいと思ったことは結構あるし多分いまでもそう思っているだろうけれど、数学をやっている時点でなんだかそれはもう不可能だと、またわたしは思う。

 

数学って、わたしは世界の原理のようなものだと思っていて、それを知ろうとすることは世界の仕組みを知ることで、それを知れば世界をどうにでも出来るんじゃないかと思う。でももし世界を作った人がいるのなら、それを望まないと思うから、多分それについて興味を持たない様に生き物をプログラムしていると思う。で、そのプログラムに反して興味を持ってしまったのが数学のひとたちで、数学者に気が狂う様な人とか壮絶な死に方する人が多いのはそのせいなんじゃないかな、とかも思ったりする。ペレルマンとか。彼はまだ死んでないけど。彼は多分知りすぎたことを自分で悟ったか、或いはなにかものすごいものを見つけてしまったんだと思う。それが危険だとわかったんだろうな。それを見つけたのが彼で良かったのだと思う、若しくは彼は世界に潰されたのかもしれないけれど。

 

知り合いの人に、本当に一瞬だけ数学科に進もうかと思ったって言ってた人が居たのだけれど、その人は数学が途中で怖くなったって言っていて、わたしはその感覚というのが生き物としてあるべき感覚なんだと思う。なにかものすごく大きくて恐ろしいもののはずなのに、その大きさに、恐ろしさに惹かれるのはもうなんかおかしいと、なんとなく自覚はする。

 

なんだかオカルトチックな話になってしまったけれど、まぁつまりは生き物としては数学なんてやりたくないはずなんだろうなっていうこと。こじつけみたいだけど、何故かわたしにはこれがしっくりきているからこれでいい。自分で考えて自分で納得したことだから、よほどのことが無い限りこれはわたしの中から退こうとすることはない。

 

自分の話というより数学の話になったなぁと思ったけれど、数学はもしかしたらわたしなのかもしれない。そういうものがひとつあれば、なんだか全てどうだって良い気がしてしまう。いずれそれから離れていくのはわかっていることだけど、それまでの間はわけがわからないくらい近くで必死でそのことを考えて居たいと思う。

 

ものすごく飽き性で、いろんなことが長くても1年くらいしか続かない。でもその分いろんなことに興味が向いてるってことでわりと広範囲のことをちょっとずつ知っていたりする。そういうところは嫌いじゃないけれど今まで大好きだったはずのものがどうでも良くなったことに気が付いた瞬間の悲しみが嫌い。喪失感で倒れそうになる、けれどもうその時点ではほかに大切なものが見つかっていることが多くて。

 

 

ひとつのお題に沿って脇道に逸れない様に文章を書くのが苦手だと気付いた。思考は網目だから、辿っているうちに多分ちょっとずつずれていくけれどそれに気付くのがわたしは苦手なんだろうな。脈絡の無い文章。いや脈絡はあるのかな、いろんなものごとは全部全部直接繋がっていると思っていて、だから話題から話が逸れるのは当たり前なんじゃないかな。正当化とかそういう感じになっている気がするけれどまぁそれは無視。これがわたしの文章、わたしにはこれしか書けない 。別に良いと思ってる、これはこれで。

 

また気が向いたら書いてみようかな、なんだかまぁわけのわからない文章だけれど。