変わることと、しあわせなことの話
死に損ねた。
言い方を変えると、生き延びた。
良かったのか悪かったのかは知らない。たった一言で死ねなかったとおもう。
ぼんやりと死ぬつもりでぼんやりと暮らしていたら破りたくない約束が出来てしまった、つまりは本気で死のうなんて思わなくなったのかもしれない
結果的にどんどん大事なものが増えてそれでも失ってしまえばきっと大したことのないもののはずで そんなものに固執するまでになったというのはどういうことなんだろう。
死ぬイメージがどんどん鮮明になってゆく。
衝撃、それから、さよなら。いや逆か。
ちいさなバイクを走らせながら、何度もその場面を描いている。いつだってやろうと思えば出来てしまうのだ。
それなのに死ななくても良いのかもしれないなんて思わせるのは、それはわたしの思い違い、である と、すこしおもう。
死ななくても良いんだよとは言われなかったな、そういえば。
抱きしめてくれるひとがあらわれて、いろいろ傷つけようとしてみたけれど効かなくて、今度はいろいろ預けてみたらちゃんと預かってくれたようにみえる。安心して良い気がしてしまった。
怖くて仕方ないのは変わらない。人間だ。
それでもすきで、会いたいとおもう。
なんにも変わらなくて良いやと思った瞬間があった。 しあわせなんだろうな。
変える気がなくなったら、また死にたくなるとおもう。のでまたすぐ死ななくてはならないね
悲しくも嬉しくもない、もともと決まっていたことのはず。
惰性で暮らすな。生きる勇気も死ぬ気力もない。
死ななくてはいけない、と、思わなくさせるのは、気力を奪うようなことみたいだ 原動力を
変なことだが死ぬ為に暮らしを続けている。
しあわせになったら、あとは死ぬしかすることがない気がする。わたしはしあわせになりたかったから、もう終わっても良い。ということにならないか。
こうやっていつまでも生きながらえるのだろうな。死にたいまま暮らすんだろう。救いようもない、哀れな人間。死ねば良いのに。