居場所とかの話
結局どこに居たってすることは変わらないのだと思う。
つまりはそういうことなんだな。都会に居てもふるさとに居ても、そのどちらでも無いどこかに居ても、わたしの居場所はおそらくないだろうしわたしがすることは同じなんだろう。物理的な変化なんてさして重要ではなくて、もっと見えないところで違いが生まれてこないとなにも変わらないのだろう。
存在のはなしとか暮らしのこととか、わたしには難しすぎてもうすべてを放棄したくて旅に出たつもりだったのに、なぜか知らない離島に居てもすることはないしいつものようにスマホを握りしめて夜をやり過ごすだけ。
たすけてくれと懇願することはわたしには到底できそうにもないけれど、ほんとうはたすけてほしいんだろうと思う。どこにいるべきかはわからないけれどここじゃないことだけはなんとなくわかる。
波の音が聞こえる、雷は遠ざかったみたいだ。
家庭菜園のプチトマトの匂いが懐かしい気がする。
どうしようもない夜にどうにかできる方法を探してみても、ひとつしかないと思いあたる思考回路しか持ち合わせていない。どうにもならない日じゃない日も犠牲になるけれどそんな日はたぶん殆ど無いんじゃないかな。
隣に誰か居てくれればと思うときがあるけれど、そうしたとしてもいずれ煩わしくなって縁を切りかねないからやめた方が良い。所詮はわたしだから、いつまでもTwitterに独りごちていれば良い。
居場所なんかないんだと思えばすこしは楽になるかもしれないと思ったけれど、人間の本能的にそういうのは難しいのではないだろうか。人間なのかさえわからないけれど。
それならやはり流されておくしかないのかな。