脈絡

読み難い

幸せとか、祈りとか、他力本願とかそういう話

ちょっと前に、お遍路に行こうと思い立った。

四国中を回って八十八か所のお寺を回収する、あれ。

 

それで四日前に出発して、三日目にやめると決めて、四日目に夜行バスに乗って隠れ家にとんぼ返りしてきた。

根性がないとか、自分で決めたことも完遂できないとかそういうのがあれば全部言えばいい、私はやめた、何もかもやめてしまった、ずっとそうやってきて、ずっと引きずってコンプレックスにして自分の居場所を自分で奪うような、そういう奴だ、私は。

 

 

 

 

あれ、一応なんか納札にお願い事みたいなのを書くところがあって、それを成就させるために回るらしい。はじめはお願いするようなことなんてなくて何も書かずにいたのだけれど、初日に三つ目のお寺に向かう前に物乞いの人につかまって、なんだかもう。いろいろ考えて、あぁ。わがままを言う子供みたいだ。ていうところだけはもしかしたら私と変わらないのかもしれないなんておもって、自分の暮らしと他人の暮らし、自分だけで自分の暮らしを支えてゆけないようなやつは、あるいは望んで支えてくれるひとがいるのなら別だろうけれど、その他例外もいっぱいあるのだろうけれど、とにかくそういう奴は物乞いとかするようなやつは、いや違うな、私も含めて、私はあの女と何ら変わらない、そういう奴は死んでおけばよいのだなんて思って、あぁ、しあわせになりたい。と思ったのだった。だからそれから願い事の欄にしあわせになりたいですて書くようにして、回っていたのだけれども、もう今の私の中では今の私にとってのしあわせってものがなんとなくわかっているから、お祈りが何か本当に無意味な、時間の無駄のような、そんなようなもののように思えて仕方がなくて、私にとってのしあわせは今すぐバスに乗って大都会のあの街へ行くことによってしか始まらないのに、私は四国の山の中で重い荷物を背負って、俺は何回回ったからどうだとか四国におけるお遍路さんの地位みたいな話だとかやたらと仲間になりたがる陳腐でくだらない人間どもの相手をしながら大して信じてもいなかった(そもそもわたしに神などいない)仏教のお寺を延々と回り続けることについて並々ならぬ疑問を持ってしまったのである。

そこで死のうとならなかったのは何か、良いのか悪いのかといわれるとどちらとも言い難いところではあるが、まあとりあえず突然大都会へ繰り出しても当てもなく彷徨うことになりかねないので準大都会の隠れ家に潜んでいるわけでなのでした。

 

 

あそこで人間が私にやさしくしてくれるのは私が白装束で杖を持って同行二人の白い鞄を持って歩いているから。それは私が一番しんどかった(かつ一番良かったわけでもあるのだけれど)時期の私に対する人間の態度に対してわたしがおもっていたことと何一つ変わらないわけで、それは結果的にわたしにとって金銭的或いはその他のところで得になったとしても不快なことだから、そういうことからは逃げてしまえばよい。

 

 

 

居場所がないなあ、と、しみじみとおもう。 自分で居場所を消していっている。

実家にはもう戻らないことにした。今いる隠れ家は、昔の身内の家だから、ご近所というややっこしいものから常に逃げているような錯覚のようなものを覚える。もともと街で知り合いに出会うのがとんでもなく恐ろしいと思うタイプなのだ。このまちのことを妙に知りすぎてしまった。顔を知られすぎてしまったと、思ってしまうのだった。去年も今年初めもお世話になったあの避難所は、それでも不特定多数の人間が怖くて行かれない。

全部自分のせいだったな。さあ死んどけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしても連絡を取りたい人とどうしても連絡を取れないから泣くに泣けないのです。という言い訳じみた何か。一人で暮らしてゆけないのなら、二人にもなり切れないのなら、やはり方法は死ぬ以外にないという結論になるのだろうか、少なくとも私のちゃちな脳みそならそういう結論を出すだろう、それでもこうやっていられるのは、まだ二人になり切れるという望みを捨てていないからで、そんなものをいつまでも大事に持っているから今の私はこんなにも弱く成り下がってしまったのだろう。

今だってずっと布団に引きこもっていたのにこうやって外に出てネカフェに入り込んでいるのは電話で連絡がつかない人とTwitterで連絡を取れないか試すためで、あなたのためなら何でもできる、みたいな一見強さのようなそれは本当はただの弱さでしかなく、いやそれはこの世界で一番弱いものといっても過言ではきっとないだろう、つまりそんなものに支配されそれがわかっているにもかかわらず抜け出すことも能わずむしろいつまでもこのまま弱いままいれば守ってくれるのかもしれないなんてバラ色の背景にキラキラした光やシャボン玉が浮かぶような甘い期待、妄想、空想に浸っている私はクズだ。結論、それだ。クズに生きている価値はあるのか?

お前に守られる価値はない。世のクズにたとえそれがあったとしても、お前にはない。言い切ってやろう。私に価値などないのだ。死ねば良いのに。ああ。

 

 

 

 

簡単だ。ほんの数メートルの移動だ。

 

それができないのは、それをしたくないとどこかで思っているのは、それは私が弱いのと、やっぱりあのひとのせいなんだと思う。私を弄ぶのはやめてほしい、自分が傷つかないために私を傷つけさせないのはやめて、信じたいと思ったけれど、きっと、いつか、居なくなる。そうあるべきだし、そのほうが自然だ。

 

 

 

 

 

さて。結構話がそれた気もするけれど、元から何の話をすると決めてかかって書いているわけではないので良しとしようか。

 

終わり。