旅をする話
旅をしている、学校を辞めて、旅をしている。
このままきっと旅をして暮らすのだと思っていた。
学校を辞めた時、なにも感じなかった。
なにも変わらなかった。
それによって自由になったかと言われてもそんなことまったく無くて、わたしが縛られていたのは学校ではなかったことを知った。
学校を辞めても学校に行かなくなるだけでなにも変わらない。
旅をしている。
外国に出てきても、そこは所詮人間の住むところで、言葉が通じないのと多少文化やらなにやらが違うだけで、そこは日本と同じだった。
どうしてもそこで人間に縛られて、日本人であることに縛られて、存在に縛られて時間に縛られて、感情に、周囲の目に、偏見に縛られて、旅人であることに縛られている。
バスの中でずっと考えたこと、わたしが旅をすることについて。
ところどころで日本人旅行者に出会うと、やはり安心するのかすこし話したりごはん食べに行ったりするわけで、その時に年齢や仕事、学校の話になるのは自然な流れだと思う。
そこで大抵はわたしが既に学校を辞めたことを話す。
一瞬の沈黙があるときもないときもある。
殆どの人は良いと言う、肯定的なことを言う。
頑張ってそうやって言ってくれる、或いは本心かもしれないけれど、それはどちらでも構わない。
でも、それについて勇気があるとか尊敬するとか言われても、そんなことは決してなかったと、いまわたしは思う。
勇気なんてなくて、ただ惰性で辞めただけ。
尊敬なんかとはかけ離れていて、この世界では未だに"普通"が偉いから、わたしはただの出来損ない、最後まで通えなかっただけ 脱落者に過ぎないのに、いま流行りのインフルエンサーやらなにやらのように、人と違うことをして出世していくような彼らと、意図的に道を外れて走る彼らと混同されているだけ。
わたしが旅をする限り、これらの評価はついてくる。
わたしが旅をも辞めたとき、今度こそわたしは"世間"にも評価されなくなる。
世間のことが好きでなくて、好きになれなくて、評価なんて気にしないつもりだったはずなのにわたしは世間の目を気にせずにはいられないのだろう。
何者でもなくなるのが、たぶん怖いのだろう。
旅をしているうちはわたしは旅人で居られるし、なにか価値のあるものだとこじつけて思うことが出来る。わたしはそれが欲しくて旅をしている。
旅が好きかなんてそんなことわからない。
たくさんの場所を訪れるのは楽しい気がする。
たくさんの人と出会い話すのは面白い気がする。
たくさんの物を食べてみるのは興味深い気がする。
でもそれらが本当かなんてわたしにはわからない。わたしは旅をしたくて、本当に旅をしたくて旅に出ているのか。
そんなことわからない。
わたしが旅をする理由は、それはかなりネガティヴなものなのかもしれない。
でも、旅をやめることなんて、いまは到底出来ないのだから。この靄をずっと抱えながら旅をしていくしかないのだから。
わたしは、少なくとも今のわたしには、それしか出来ることがないと、そう思い込んでるのだろう。思い込んでいると思い込みたいのかもしれない。
自分探しの旅なんてそんな綺麗なものじゃない。
Requiemのような旅を。