脈絡

読み難い

人を好きになる話

 

人を好きになること とは みんなそれのことをちゃんとわかって誰かを好きになっているんだろうか。

 

教科担任が変わると当たり前の様に自己紹介の時間を取る そして大抵は何かしらの質問が生徒から出る。

そのときの定番のものというのが、恋人はいるか とか結婚しているのかとかそういう類のものだろう。わたしはそれらの質問についてどうこう言うつもりは無いし、わたしがまったくそれらに興味がないだけでみんなは気になっているのだろうと想像出来るからなんとなくぼんやり聞いている。

 

付き合うというのは、恋人というのは、一体どういう立ち位置になるのか、わたしには全然わからない。好きになって、一緒に居たいから付き合うのだろうか。たぶんそれはきっとそうなのだろう、それだけが理由ではないのだろうとは察せるけれど確かに理由のひとつではあるだろう。けれど誰かに恋人が出来たとか、そういうのはわたしの世界に存在するのにわたしのこととなるとそれはもう現実の事ではなくて、なんだか漫画の中の話の様になる。

 

 

わたしは勝手にわたしのことを 恋愛とはすっぱりと切り離して考えているのだろうと思う。

好きというのはたぶんある、けれどそれは、なんなんだろう、恋愛的なものではないのでは と思うのだ。性別とかは全く関係なくて、好きなひとは好きなのだけれど 付き合いたいっていうのがなんだかわからない。

なんだかわたしにとって好きなひとには、ハグをしてもらえればそれで満足。特別な存在になってほしいとかわたしがなりたいとか、そういうのはあんまり考えてないと思う。まずその特別な存在とか恋人とか、あまりにも不確かでどう取り付けば良いのかもわからない。

 

大多数の人間はそうではないのは知っているつもりだし、大多数の人間でない人間もいるのも知っている。けれどわたしはカテゴライズしてしまうのがあまり好きではなくて、個人として見たいと思っていて、まあ結果わたしとしてはわたしは人間ではないから、それなら大多数の人間と違うのは大して不思議でもないんじゃないだろうか。

 

もしかすればこれは恋なのではないかと思うものもいくつかはあって、けれどその度にそれが女の子だったりしてなんだかわたしは変なんじやないかとか思ったりもして、けれど、それが変なことでもないといまは思うしそう考える様になったいまわたしはひとを好きにならないのだろうな と、そう考える。

 

多分、日本語の言葉にない関係を望む。

 

近くに居て、そこで存在していてくれればわたしはこの上なく落ち着いた気分になれて、だからすごく大切なひと。

 

好き なんて言葉、どんな感情にも当てはめられて、だからこそわたしはその人のことが好きだと言える。ほんとはどういう意味とか、きかれてもわたしが一番わかっていない。

 

恋人が居ればいいのかな と思うこともあるけれど、居なくても別に良くて、居たとしても一般的な形だとすぐにこわれてしまうのが見えるから、それなら名前を持たない関係でありたい。

 

結局なにを言いたかったのかはわからないけれど、またいつかもう少しちゃんと書くかもしれないので良しとするかな。あんまり人にも言わないような話だから、はけ口がなければ疲れてしまう。いつか誰かが読むのかもしれない文章に置いておく。

 

 

2019/3/26 追記 すこしのことばの変更