脈絡

読み難い

神様の話

 

神様が居るとは思っていない気がする。

なにかそのような全知全能みたいなのが、わたしは出来ないと思っていて、それでも神様という形でなければなんらかの信仰の対象みたいな存在はあり得ると思う。言葉が曖昧だからかもしれないけれど、神様というものの定義をまだ確立させていなくて、ちょっと書きにくいかもしれない。

 

家の宗教は浄土真宗だけど、両親もそんなに信心深いわけではなくて、だからあんまり宗教のことを意識したことはなかった。だけどわたしは小5のとき勝手に自分で信仰の対象を見つけて(作って?)、その時から今まで多分それを心のどこかで意識してきた。

それは自然の中に居て、ひとつではなくて、なにか精霊のようなもの 最初に気付いたのは海だった、小さな穴の開いた巻貝を見つけて、それをペンダントにして今も多分それは実家にある。そのほかにも山に入ったときに目に入るものや聞こえる音、空気とかにいろんなものが居る気がして、小学校中学校とつらかったらそれらに頼って居た時もあった。

 

アイヌとかの考えに割と影響されているかもしれない。あれは結構しっくりきてるし、わたしの中の精霊もそこでのカムイのようなかたちで存在していたりする。わたしは自然が好きだし、それに沿って生きていたいと思う。逆らうようなことは出来ればしたくない、けれどもうこうして在るだけで逆らってしまっているのはいまはどうしようもないけれど。

 

神様とかとは関係ないかもしれないけれど、わたしは食べるのなら殺すのは別に構わないと思っていて、食べないなら殺さないと決めている。これはたしか前にも書いたと思うなぁ。だからここではこれだけにしておこうかな。

 

で、まぁ話を戻すと、精霊がいっぱいいるわけだけれど、それらの中でいちばん最初の精霊、いちばん長生きというか、いちばん初めから居るのがちょっと格上って言ったらおかしいけれど違う存在なんだと思う。根本的には大差ないのだろうけれど、全体のバランスを取ってる感じのイメージ。それが多分神様。形もわからないしどんなものかは全く思い浮かばないけれど、居るのだから居るのだろう。

 

わたしの中での彼らは何もしなくて、居るだけなのだけれど、それは多分なんとなくわたしの理想だったりするのだろう。わたしは何者でもなく、そこに在るだけで十分だと思っていて、自然に居て自然に消えていければいいのにと思っている。彼らはなにかありがたい啓示をしてくれるわけでもなく、なんらかの力で救ってくれるわけでもなく、敬っていればなんらかの見返りがあるわけでもない。切り離されて居て、わたしとは関係のない世界で存在している。だからなんだか信仰としては妙な形なんだと思う。

 

けれど彼らはわたしの理想だし、まぁわたしが意識し始めたのだからそれは当たり前なのだけれど、そうやって彼らのように生きようとわたしが勝手に決めただけの話だ。縛られるつもりはないし、ある程度わたしのやりたいようにやって、それでなんだか大変なことになってどうしようもなくなったら、初心に帰る感じで彼らのことを思い出す。その時の気持ちはちょっと独特で、それは畏れのようなものなんだろうと思っている。

 

こっちに来てからは彼らとの関わりが薄くなってしまった。自然があまり無いし、わたしが知っているのはふるさとの山の彼らだから、やっぱりちょっと違う気がする。こっちの山の彼らとも仲良くなれれば良いのだけれど、なかなか触れ合う機会もない。すこし寂しいものだ。いつか山に入れたら、知り合いくらいにはなれたら良いと思っている。

 

ひとりで勝手に存在を作り出して勝手に拠り所にしているけれど、わたしにとって彼らはあたたかくて、結構信頼できると思っている。まぁ知っているといってもかなり遠いから、親しくはなれないだろうけれど。でも居てくれて良かったと思うこともあるから、このままで良いかなあと思っている。

 

変わった話をした。言葉で表現するのがなかなか難しい話だったから、もしかしたら不快かもしれないと思いつつ。それでもわたしは勝手にこのまま生きていくのだろうな。もう彼らからは逃れられない、根本に居るから、考え方の奥底にいつも隠れてはいても間違いなく存在しているから。