人肌の恋しい話
人肌が恋しい。
よく寒い季節になると人肌が恋しいと言うけれど、そういうのとはあまり関係のないものであろうもので、ただ単に誰か来てくれれば良いのに 抱き締めてくれれば良いのにな と思う。
もちろんここにおける誰かとは誰でも良い訳ではなくて、特定のひとりのことをさすものなんだと思う。人はよくそうやって物事を濁らすということをようやくわたしは認知し始めたのだと、すこしの情報源から察する。
人肌が恋しいのは、愛が恋しいのとほぼ同じ。
愛は唯一肌を通して伝わるものなのだと 中学校の時の担任の先生に聞いてからなんとなく腑に落ちているからわたしはそう思っている。
愛が恋しいのは、人が恋しいのとほぼ同じ。
人は、特に好きなひとは、多くの場合愛を渡してくれる。そちらにそのつもりが無かったとしても、あたたかみと共に伝わるのは紛れもなくそれそのものなのだと。(ここでいう愛なんてわたしはわからない。確実に言えるのは愛なんかじゃなくてそれは心のあたたかみであるということかもしれない、安心感と言った方が良いだろうか 心地よさというものなんだろう)
人肌と人が同じものとは わたしはそうは思えないけれど あたたかい肌をもつひとの近くに出来るだけ居て、あたたかい肌をもつ生き物になりたい。
隠しきれない欲望をもって、滲み出る感情でもって、ナチュラルにわたしを包み込んで抱き締めてほしい。
そのときにわたしも最大限の愛でもって負けずに包み込めれば良いのに。
伝わってくるあたたかみ 感情を撫でる吐息 腕の感触 心臓の鼓動 お互いの首の柔らかくあたたかいところが触れ合う 命の僅かな振動を伝えられる 体温を上げる それはまるで感情の交換の様に。
こんな日は人肌が恋しい。
2019/3/26 追記 ()内とすこしのことばの変更