脈絡

読み難い

どうしようもない話

 

どうしようもない日にどうしようもないメンタルでこれを書く。

 

大した書くこともないけれど、時間があるしなんだか経つのが遅い気がするので何か書いておかないと落ち着かない。

 

いまは街の中のベンチに座っているのだけれど、周りには勉強している人たちが居て、自分の居るべきところではない様に感じる。 いや居るべきところなのだろうけれど、居るべき用事でここに居るわけではないから居るべきではないということかもしれない。要はなにを言いたいかというと勉強しろってこと。

 

でもどうしても気分が乗らないときはあるわけで、最近まあずっとそうだから勉強これっぽっちもしていないんだけど、Twitterとかを見ているとみんなすごい勉強していて、こういう考え方になるのも良くないなとは思うんだけどわたしは周りから遅れているなあって思う。

 

勉強なんて無理してすることじゃないし、やりたいときにやれるだけやるのが勉強でいちばん効率の良いものだと思ってるから、それになにより自分の興味が伴ってないとなんか勉強しても意味が無いなって感じるし、だから勉強はしたくないときはしないで良いと思うのだけれど。

 

でもまあどうせわたしは大学に行くし、そうするのなら受験勉強というのは必須なわけで、興味がないことでも勉強しとかないといけない。幸いわたしはいろんなことを勉強したいなって最近思う様になってきたし、だから興味の問題は無いに等しいと考えられるけれど、なにせ効率が悪いから時間が足りないし頭も体力も足りない。もうすこしすっと理解出来るようなやり方でも見つけたら良いのかもしれないけれど、それが多分いちばん難しいところで。

 

なんとなくわたしが考えてるところでは、東大とかに受かってる人とかテレビとかで天才って言われてる人たち、そういう人たちはまぁもちろん努力した人もたくさんいるとは思うけれどなんかいち早く自分がどうやったら理解しやすいかわかったとか、或いはよく本とかでこの時間にやると良いとかこういう習慣をつけると良いとかやってるのにたまたま体質が合っていたとかなんじゃないかなって。全員が同じなわけないから、そういう本とかで言ってることももちろん正しいのだとは思うけれどどうしても体質に合わないひともいるだろうなって。そんな人はきっといくら朝型にしてみたってどうしても変わらないだろうし、或いは余計に悪くなるかもしれない。

 

そういうのって人間を生物として見て考えてるのかな。もしそうなら勉強の出来る人間っていうのは生き物として優性なのかな。でもそんなに勉強出来るひとは本当に一握りだからあんまり優性でもなさそうかもしれない。あんまり詳しくないからわからないけど。

少し前に勉強出来るからといってモテるわけではないから勉強出来るということは人間にとってあんまり大事じゃないんだなぁと思ったことがあった。なんとなく正しい気が今でもしている。

 

生き物として人間を捉えたら、やっぱりモテる人が生物として生きていくべきなんだろうなって思う。なんかいろいろ間違って伝わりそうだけど。生き物って子孫を残したいだろうし、子孫を残しやすい子供にしたいだろうし、だからまぁモテる人って子孫を残しやすいから生物としてあるべき姿なのかなって。

 

わたしはいまこの辺にいる人間の殆どを生物として見ることが結構出来なくなっていて、いやそれは嘘だ、自分のことだけだろうけれど生物としては見られないけど、でもなんとなく昔の、大昔のひとはもうすこし美しくてちゃんと生物だったんじゃないだろうかって思うことがある。ちゃんと生物として生を全うしたというのか、なんか生き物としての輝きとか美しさとか艶とか、そういうのがあったんじゃないかという予感がするだけなんだけど。なんだか昔の人の方が生き物として自然の中で占めていた場所が広かったんじゃないかなって思うから、もうすこし生物として美しかっただろうと。自然の中でそのままであるだけでなんとなく調和してたっていうか。勝手なこじつけだと自分でも思う。知りもしないくせになにを言っているのだろう。

 

けれどいまの人間が美しくないわけではないとは思う。何故だかわからなくてもものすごく惹かれる人が居るし、そういう人は美しいと思う。なにが違うのだろう、なにかのエネルギーの様なものが光ってたりするのだろうか。でもわたしが美しいと思うひとが必ずしもモテるわけでもないんだけどな。

 

でもモテる人っていってもきっとそれは時代によっても人によっても変わるだろうな。それはどう説明するのかな。他の動物がどうなのか知らないからわたしにはなんとも言えないんだろうと思うけれど、でもそうやってモテるの基準が変わっていくこと自体がなにかのズレなんじゃなかろうか。明らかに子孫を残しにくいひとを好きになる人もたくさんいるわけで。

 

人間以外の動物はどうなんだろう。まず子孫を残しにくい個体は生きていけないのだろうな。そういう個体も生きられるから、人間の世界の中では、だから複雑になってるのかなぁ。まぁ複雑な方が色々と楽しそうだから良いのだけど。でもなんとなくそれは生き物らしくないと思う。生き物ってなんだろうとかまずそこから考えるべきかもしれないけど、まぁ、とりあえず自分の中にいまは定義の様なものがある気がするからよしとしたい。

 

ええ、わたしはどうやらどうしても人間を生物として見たくないようだ。人間を特別扱いするような、例えば人間は言語を手に入れたとか知識があるとかそういうの、それはものすごく嫌いなくせに自分では最大限卑下して逆の意味で差別化しようとしてるんだなあ。どっちにしろ特別扱いだよね。人間嫌いなんだろうな。

 

個々人は好きでも、集団になればもうなにか違うものになってわたしの意思では動かせないというのかその時点で恐怖に変わる。要因がそれだけとは思えないけれど、どんな人間でも個人ならすこしでもわたしの影響を及ぼすことが出来るから、まだ怖さも薄れるんだろうと思っている。

大好きな人間は居て、大嫌いな人間は居ないけれど苦手な人間は割と多くて、集団になればもうそれは恐怖だからわたしは出来るだけ関わりたくない。

 

人間って不思議だなあとよく思うけれど、いざ別の動物、例えば鹿とかのコミュニティに入ってみればなんらかの似たようなものがある気がしているし、向こうは向こうで自分らはなんだか不思議で変わってるなぁとか考えていて、それなりに調べたり考えたりして世界の仕組みとかの答えを彼らなりに出している気がしてならない。彼らと話せたなら楽しいだろうに。もしかすれば彼らも、人間の言葉を聞いて解読を試みたりしているのかもしれないなとか、そういうことを考えるのは割と好きだ。なんだか、偉そうな立場かもしれないけれど。

 

いろんなものを、全部のものを上から俯瞰して見たいと思う。まぁそれが出来ないのはわかってるけどね、論理的にいまわたしが気になってること、ゲーデル不完全性定理というのはそういうものだから、それは出来ないと証明が出来るのだろうとわかる。自己言及の話。どう頑張っても自分のことは見られないし、なんとかして見たとしてもまたそこには客観的な自分というのかそういう見ている存在が出てきてしまうから。

 

無限ループってとても恐ろしいけれど楽しくて、巻き込まれてしまったら本当に無限の道のりできっと永遠に出られないんだろうな。多分哲学者とかはそういう感じなんだと思う。なんだかんだで楽しいだろうな。

 

楽しいことだけやっていられたらなって最近よく思うのだけれど、そんな上手いこといくわけなくて、わたしはなにか他にすることを見つけて生計を立てていかなければならない、人間として生きるのにはお金がかかるから、その為のお金を稼がなければならない。まぁどうして人間として行きていかなければならないのかって話なんだけれどわたしからすれば、でも人間として生きてきた両親のもとに生まれて、多少の疑問はあったものの人間として生きて居たこれまでのことがあるし、これからもなんとなく人間として生きていくのだろうという気持ちがある。

 

わたしはもし生きていくのなら自分のなんとなくっていうこの感覚にとてもとても忠実に生きていきたいと思っているから、だからなんとなく生きていく気がしているのだから生きていくのだろうと、人間として、これからもきっと、社会に出たり出なかったり、まぁそこまではよくわからないけれど死ぬまで人間を装うんだろうなぁ。またはもしかしたら人生のどこかで自分が本当は人間だったと知るのかもしれない。どうなるかはわからない。もし生きていくのなら、もし生きていくのを楽しみたいと思うのなら、わたしはこれからわたしがどうなるのかを楽しみに観察しつつ生きていけば飽きないんじゃないだろうか。

 

と、またまた読みにくい文章を書いていた。自分の思っていることをなにかに縛られることなく脱線とか話題が全く変わってしまうのも全部OKで書いていくのはなかなか楽しい。はじめの頃のズタボロのメンタルも多分どこかへいってしまった。常々思っていたことでも、こうやって文字にしてアウトプットするのは初めてだった気がする。会話の中とかでは言っていた気もしないでもない。いろいろ整理出来るしわたしはこれはとても好きだ。文章にはもしかしたら一貫性とかが欠けているかもしれないし、なにやら無理矢理の論理の展開とかがあるだろうし、読んで得するようなものでもきっとないだろうけれど、わたしがわたしの為に書いたようなものなのだろうな、きっとこれは。こんなに必死で文章書いたのも久しぶりだけど、どうやってわたしがこの文章を作ったのかとかも結構気になっているから、自分を観察しつつやっていければいちばんいいのかもしれない。結構な暇つぶしにもなるし。楽しくて良かったな。