脈絡

読み難い

家族の話

家族の話は難しい。なんだか鬱陶しいくせにたまらなく会いたくなる。それでもなお血が繋がってるとは思えないところもある。わたしの彼らに対する感情はただ昔から一緒にいた人たちというものなのかもしれない いちばん長く、生まれた時から一緒に居たというそれだけの事かも。

 

どこかで家族のことを他人と思った方がやりやすいという様な文章を読んだことがある気がするけれど、たしかにわたしにもそういう時があったかもしれない。どうしても彼らはわたしとは違う生き物で、親近感とかそういうのを感じられる気もしなくて、進学で札幌に出てきたのも学科とかも確かにあったけれど実家を出たいというのもあったのは間違いないことだし。それですこし自由になって部屋も自分のものにすることが出来て、生活のほんの少しのずれに苛つくこともなくなったけれど、そうしたら家族が恋しくなった。

 

なんなんだろ。一体誰なんだろう、家族というのは。

 

わたしの親はとてもわたしのことを考えてくれているし、それは本当にありがたいことで、気にかけてくれるのは嬉しいことだ。けれどなんだかわたしは家族と波長が合わない気がして居て、恋しくて会いたいけれど会ったならすぐに別れたくなる、長くても1日くらいで、2日も居ればすぐに鬱陶しくなってしまう。わたしはそれが結構悲しいと思っていて、だって今までずっと15年間も一緒に居たはずなのにどうして2日も居られないのだろうと思って混乱したりする。

 

それとは別にしてもわたしは家族のほかの人たちとは根本的に違う気がしている。興味から考え方から好きな食べ物とかまで、なんだかことごとく違ってどうしてだろうと考えてたこともあった。まぁ同じものなんて無いんだからそれはそれで当たり前の様な事かもしれないけれど。当時若干ファンタジーの世界に足突っ込んで半分くらい向こうの住人だったからいろいろ考えるよね。まあいまはどうでも良いですが わたしは彼らのことが好きだし彼らもまたわたしを好いてくれている様に見えるので 平和な関係である様なので 少なくとも表面上は。水面下で何が起こってるかなんていつの時代もわたしのいちばんわからないことだしそこで何が起こっていたとしても何故かなんとかなる気がしている。

 

それでもやっぱりたまに会いたくなる。

 

どうでもいいわけでは本当はないのかな。

家族が生活してる気配を感じると、戻りたくなる。混ぜてもらいたいと思う。彼らがなんであったとしてもわたしとずっと居たのは変わらない事実で、だからといって彼らがわたしのことをいちばん知っているとは言えないけれど、根本でなにか彼らにしかわからないことがあっても不思議ではないな、と思う。結果的にまあ大事なんだと 彼らが居なくなればわたしはきっとしばらくの間はいろいろ考えて何もしなくなると思うし、それはやっぱり友達とは違うんだと思う。特別なのかな、と、思う様になる。

永遠にこの微妙な立ち位置のところに家族を置いておくのが良いのかもしれない。こんなに考えなくても上手いことやれる人はやれるのだろうな わたしもやろうと思えばやれるのかもしれないけれど。 それでもいろんなことに定義とかが必要な生き物だから、こうやって面倒なことをいつも考えているんだろう。そしてきっとこれからもずっと考えていくんだろう。